遅くなりましたが、昨年11月19日(木)にIKLSが多摩大学と共催したパネルディスカッション「2020年に求められる人材」の要旨を掲載します。
内容が盛りだくさんなので、2回に分けて掲載する予定で、これがその1回目です。
Ⅰ.日時
2010年11月19日(木)19:00~20:50
Ⅱ.場所
多摩大学品川キャンパス
Ⅲ.内容
1.イントロダクション(紺野所長)
リーダーシップが今ほど求められている時代はないが、その一方でリーダーシップ論ほど未熟な学問分野もない。一般にイメージされるような英雄を求めるようなリーダー論は、子供っぽいもので現実にはそんなものは存在しない。実際に成功している企業のリーダーは全く違う姿をしている。知識社会では社会的な関係性の構築に資質を持ったリーダーが望まれる。寛容さ、調整の上手さなどむしろGood Managerの資質を持っている人物が多い。現場の視点から見たときには、職業人としての意志や、個人としての謙虚さ、あるいは従業員のとのパートナーシップ、オープンなコラボレーションといった、社会的関係性をデザインするような姿がこれからのリーダー像になってくる。
企業の形もヒエラルキー型からネットワーク型に変わってきているので、個と個、個と組織とのインタラクションに目を向けないといけない。ヒエラルキー型の組織は20世紀の組織だ。F.テイラーが科学的管理の本が1911年に出版されて100年が経っている。20世紀のマネジメントは人間本来の力を効率性のために犠牲にしてきた。次の世代のリーダーはネットワークの中の個人の力を活かしてイノベーションを起こすことができなくてはならない。そもそも人間の脳はネットワークアーキテクチャに適するように作られている。しかし、20世紀型のマネジメントではネットワークは分断する方向で考えられてきた。Stand Alone で使っている脳は非常に効率が悪い。ネットワークして対話を重ねて新しい視点で一緒にモノを考えないと、環境問題などの複雑な問題は解決できないと思う。
先日シンガポールに行ってきたが、彼らは世界中から有能な人材を集めて研究開発で国を発展させようとしていた。ただ、このときの問題は変化のスピードが激しいこと。この10年は電子部門の人材に投資してきていたが、これからはバイオだと言っていた。急速に環境が変わってきたときには人材を再教育したり、少し長い目で勉強させたりというシナリオが必要になるが、シンガポールでは国が面倒を見てくれる。一方、日本は遅れている。日本では人は企業に囲われていて、時間が経ってもエンプロイアビリティが全く変わらない。日本でも将来どういう仕事とか能力を持てばセルフエンプロイアビリティが高まるかを考えないといけない。3年くらいで、あるいは可能であれば毎年のスパンで、自分が何を学び、何を成し得たかをレビューしなくてはいけない。
ここからパネルに移るが、このような現状を踏まえて2020年に求められる人材について考えていきたい。
2.パネルディスカッション
(1)2020年に企業にとって求められる人材とは
紺野:2020年に優れた人材が生まれるにあたって、最も影響を与える要因は何か?
橋本:ダイバーシティが今後どんどん高まっていく。国家間もそうだが世代間のダイバーシティも重要になってくると思う。「デジタルネイティブ」という生まれながらにコンピューターを使っている世代が今就職活動をしている。デジタルとかネットワークを当たり前と考える人たちが社会に入ってくると、オープンにならざるを得ない。企業が自分たちのルールでモノゴトを進めようとしても、外の声が聞こえてしまうし、人の流動性も高くなる。そうなると求められる人材はこれまでとは変わってくる。それが、どういう人材かというと、愛嬌がある人が良いのではないかと思っている。最近、E.シャインのHelping(邦訳「人を助けるとはどういうことか」)を読んだが、これから社会で人間が相互に依存しあうことが多くなる中で、どうやって生産的な関係を築けるか、社会経済というキーワードを使って論じていた。協力すると言っても必ず上下の関係になってしまうなか、どうやってフラットな関係を築けるかが大事になってくる。また、能力のある人が必ずしもリーダーとして適しているわけではない。グローバリゼーションは決まったルールにあわせるということではなく、むしろ雑多なものが雑居するところで何が支持を得るかということだ。インターネットの世界ように圧倒的多数が助けるようになると、弱さが強さになるというか、助けられることが圧倒的な能力になるのでないか。
紺野:IBMは性的嗜好性についてカミングアウトしてもいいことになっているが、これも性差や人種差が大きなパワーになると感じているから、そういうことを許しているのだと思う。橋本さんが言われるのは強さとか能力ではなくて、傷つきやすさとかアフォーダンスが求められるようになるかもしれないということだと思う。
徳岡:私の関心から言うとやはりグローバリゼーション。これは確実に起こること。これに日本の企業や社会がどう向き合い、受け止めるかが重要だと思う。日本の場合は単に英語が話せるとかいう話ではなく、メンタリティをどう変えるかが重要だ。例えば日産でもしばらく前までは、日本で基本的な設計をして海外のデザインオフィスで各地域に合わせた味付けをしていたが、今は多極化していて、人事もイギリス人がインドのデザインのトップになるなど多様化してきている。そのようななか、日本人が欧米やアジアの人たちを巻き込んで自分たちのやりたい事をやっていく必要がある。そういうリーダーが求められる。グローバリゼーションと言っても、これからのグローバリゼーションは同時多発的グローバリゼーションでアメリカ主義がグローバルスタンダードだった過去のそれとは違ってくる。日本発、中国発、インド発のグローバリゼーションが同時多発的になって、どんどん交差するようになっていく。
橋本:これまでのグローバリゼーションでは価格優位性が効くので、中国に工場を移せば勝負できるという感があったが、今のグローバリゼーションではオープンイノベーションが重要になってきている。一つの企業ではどうしても解けない難問が世界のいろいろな視点から見ると簡単に解けるというのがオープンイノベーションの面白いところ。多様性は能力に勝るということだと思う。
徳岡:アイデンティティとアイデンティティのなさというかアイデンティティの自由度が大事だと思う。日本人は、日本人とは何かを自ら表現することが得意ではないという点でアイデンティティが弱いと言えるが、一方で日本人は自前主義で引篭もりになりがちとてもアイデンティティに縛られている。他方、仕事がよく出来る人は自分の枠がない人なのではないかと感じることがある。アイデンティティとアイデンティティのなさをどうマネジメントするのかが大事なのだと思う。
橋本:ソーシャルネットワークの研究でのキーワードとして弱い紐帯というのがある。これは、大きな転機やイノベーションの契機には実は弱い人的なリンクすなわち弱い紐帯が大きく機能するということ。転職や発明では、同質性の高いいつも会う人よりも、たまにしか会わない人の方が機会をもたらす。従来は筆まめな人や勉強会や飲み会を企画する人などのマメな人が弱い紐帯を使える人だったが、今ではSNSやツイッターなどのITツールを使うと弱い紐帯を大量に管理することができる。それゆえにSNSなどが株式市場でも評価されるようになってきている。
徳岡:会社の人事評価では求められるコンピタンシーの項目を要素分解的に落とし込んでいるが、それを全部組み合わせれば優れたリーダーや人材が出来あがるのかというと、何か違うと思う。要素分解の設計思想に無いのはストーリーだ。何をやりたいのか、どんな未来を作りたいのか、そのときにどんな人にいて欲しいのかなどのストーリーが無いので、A、B、C、Dのコンピテンシーがあればそれで良い人材となってしまう。世界観は企業によって違うはずなのに、コンピテンシーの項目はどこの会社でもそれほど変わらないはずで、そこに問題がある。
(以下、後日改めて掲載します。)